2015年06月06日

手段が目的になってしまうこと

交通ルールというのは、
事故が起こらないように作られているというのは、
間違いないでしょう。


だから、
警察官の方たちが、
みんなを守ってくれるために、
ルールを守らない人を取り締まっている。
すごくありがたいことです。


ここ一方通行ですからね、気を付けてくださいね。
ここに駐車していると、走っている車とか歩行者が危ないですからダメですよ。
自転車二人乗り危ないよ。
スピード出しすぎですよ。
とみんなの安全を守るために注意してくれたりしています。


ところが、
よく一時停止とか、一方通行とか、
安全運転を心掛けている人でさえ、
見落としがちな場所で、
違反してしまうのを待ち構えて、点数引いて罰金徴収しているのはどうなのでしょうか。
しかも田舎や夜中の車のほとんど走っていないような場所で。


見落とす人に運転する人としての過失がある、注意が足りない、といいますが、
多くの人が見落としがちな標識というのにも問題があるように思います。
都内など、標識に注意する以上にうじゃうじゃいる人と車に注意を向けないと逆に危険です。


そして、
それだけ多くの人が違反するのを待ち構えているということは、
そこで多くの人が違反になってしまうのがわかっているということでしょう。
(意図的にしている人はそれで取り締まっていいと思います。)



それで次から気を付けるようになればいいのでしょうか。


本当に?


それよりも、
交通事故が起こらないように、
みんなの安全を守るためにという目的であれば、
そういうわかりづらく見落としがちな人がたくさん出やすい場所では、
違反をするまえに注意喚起を促すことのほうが大切なのではないでしょうか。


違反をするのを待ち構えて取り締まるというのは、
違反して事故になってしまってから、
あぁ、違反しましたね、事故起こしましたね。
点数引きますね、罰金いくらです。
でいいのでしょうか。


ここに落とし穴があるんだよね。
みんなここに落ちやすいから、気を付けてもらうために、
まずは、みんなに落ちてもらって、あぁケガしちゃいましたね、
これから気を付けてくださいね。
っていうのと同じです。


そうしていると確実に病気になるんだよね。
みんなを守るために、
まずは病気になってもらってから、、
気を付けてくださいね。それで、診療代はいくらになります。
ってことと同じです。


安全を守る目的があって、ルール守らせる手段がある。
ところが、
ルールを守らせる方が目的になって、安全を守る方が二の次になっていないでしょうか。
安全より違反を多く集めるために、他になにか公にできない重要な目的があるのでしょうか。


欲しいもの大切なものがあって、それを得るためにお金を貯める。
ところが、
お金を貯める方が目的になって、欲しいもの大切なものがわからなくなっている。


収入や仕事を増やすという目的のために資格を取る。
ところが、資格を取るのが目的になって、
資格を取るのにたくさんのお金を使うことになっている。
資格は取ったけど目的は果たされていない。


本当の目的は何なのか?
本当に得たい結果は何なのか?
よく見つめ直してみてもいいことが結構たくさんあるかもしれません。




posted by うだけん院長 at 13:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
〜筋膜マッサージでカラダを本来の構造へ〜
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。