2013年02月14日

お寿司を食べに行きました。

先日、久しぶりに1日オフの日が作れたので、千葉にある人気のお寿司屋さんに行きました。
そこで食べるネタはどれを食べても、1つ食べる度に「おいし〜(>o<)」と体をよじらせながら、うねります(笑)
こんなにも同じ種類の魚貝類で味が違うのかと、アンビリーバボーです。
今回も、数か月前に感動したその味を再び味わいたく期待に胸をふくらませ、少しふくらんだビール腹を腹空かせ、足を運んだのでした。
席に着き、ワクワクしながら前回と同じものを注文し、ワクワクしながら運ばれてきた握りを1つ口の中に放り込みました。

「(>o<)、(>o<)、・・・ん!? あれ!?」

確かにおいしい、全然おいしい、だけど前回味わった感動が湧いてこない。
なぜだろう・・・?
期待し過ぎていたのか・・・?
自分の体調が違うのか、気分が違うのか・・・?
しかし、感動するレベルの料理というものは、どんな気分も吹っ飛んでいく美味しさなはずだ。

なぜだろう・・・。
そこで。私はさらに五感を広げ研ぎ澄ませながら、分析してみました・・・。




私はインストラクターになって体の感覚を研ぎ澄ます訓練をしてきました。
自分の足のつま先の方向をあと内側に2ミリとか、手の指の第1関節をあと3度伸ばすとか。
そういったことをレッスン中や練習の中で動きが染みつくまで意識し続ける。
今、この晩ごはんを食べたら、明日の朝の体の状態はこうなっているだろうとか、
このサプリメントを取ると、筋肉の回復感がいいなとか、体の巡りがスムーズでスッキリ感があるなとか、筋肉がデカクなっている感じだけど体少し重い感じだなとか。
同時に味覚も研ぎ澄まされてきました。
ストレッチでは、股関節の開きが悪いな、伸びている筋肉以外のどこが邪魔しているのだろうか、
あ〜、これはわき腹の腹斜筋が固まってるからか・・・とか。
運動生理学、栄養学、解剖学の理論を意識しつつも、なにより感覚を大切にしてきました。

治療師になってからは、もっと深く生理学や解剖学、筋膜理論、経絡経穴学、東洋医学の概念、心理学も学び、さらに感覚を研ぎ澄ましてきました。
五感を広げながら、1万時間ほど、たくさんの人の体に触れてきました。
1万時間程度では、まだまだ全然ひよっこですが。

いずれにしても、なんとも言葉で表現できないものをたくさん感じ、学習してきたと思います。

「水は答えを知っている」という私の好きな本があります。
“ありがとう”と声をかけ続けた水、“バカヤロウ”と声をかけ続けた水、その水の結晶を調べてみると、“ありがとう”と声をかけた水の結晶はとても綺麗で輝いていますが、“バカヤロウ”と声をかけた水の結晶は形にさえならず、ぐちゃぐちゃです。
ちなみに人の体は70パーセントが水分です。


“気”というものを一言で定義するのは難しいですが、「“気”は世界を構成する最も基本的な単位であり、宇宙に存在するすべての事物を自らの運動・変化によって創出する基礎的な要素である。」としています。

私も体の中に流れている“気”は明確に感じています。

人の体の中に流れてる“気”の状態は、その人が持っている感情でも変わってきます。
本人が気づいていないレベルの感情も体には現れています。
そして、それは周りに伝播もします。




先日、お寿司屋さんに足を運んだのは、祝日のランチタイムが終わりの頃の時間でした。
賑わっていた店内は人が少なくなり、お店の忙しさに追われていた働いている人の“気”が一気に抜けてしまっている感じでした。
握りの方は、明らかに以前食べた時と握っている人が違います。
ネタの切り口の表面具合、シャリの1粒1粒の並びの整い方、崩れやすさ、握った時の圧力の違いと親指の圧力がやや強めな所。
その握りには、以前食べた時の充実した“気”がなかった。
むしろ、やや怒りというか、忙しさのイライラなのか、繊細さの不足感、そんなものが含まれていたように感じました。

それでも間違いなく飛び抜けておいしいんですけどね。




本人も気づかない“感情”、“気”が周りに伝播します。
オーラがある人や、達人と呼ばれる人達は、この“気”の乱れをなくすことができる人達なのだと思います。
そして、そういった人達がたくさんの人を魅了することができるのでしょう。



私は、レッスンをしている時に、
今日のビールのおつまみは何にしようかとよく考えています(笑)



posted by うだけん院長 at 09:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
〜筋膜マッサージでカラダを本来の構造へ〜
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。